触発

カトリック教会での礼拝に行った人のブログ記事を読んで、うずうずしてしまった。
昔は教会に毎週足をはこんでいたが中学校に入って部活が始まると日曜も練習があるので教会に行くのはやめてしまって、それきりだった。
なんとなく、これはいいきっかけなんじゃないかと思い、久しぶりに日曜学校に行って来ました。ちなみに私のところはプロテスタントです。

朝、早速寝坊しちゃったので急いで着替え、自転車で走ること15分。毎週通った道のりが凄く懐かしかったけど道中道路でタヌキが轢かれていてびっくりした。
手を合わせておきました。供養とかはやぱり合掌するなぁ。これから指を組んでお祈りしにいくのにね。
少し話はそれるけど、
食物や動物への感謝→合掌
生きていることへの感謝→アーメン
っていう勝手なイメージが私の中にはあります。


f:id:charcoalmaker:20140427201408j:plain

わかりずらいかも知れないけどこんな道を走った。
左側にはつつじが沢山咲いていて綺麗だったなぁ。今日は天気も良かったし、行くことを決心して良かった。

f:id:charcoalmaker:20140427201544j:plain

到着!!!
とにかく懐かしかった!
そしてそこにあるもの全てが思ってたより小さく感じられて、自分が成長したことを実感しました。もっと広かったような気がしてた。

席につくと結構知ってる人がいた。
誰か気づいてくれるかな...とあえて最初挨拶せず後ろの方の席で黙ってたんだけど誰も気付かなかった。皆に忘れられちゃったのかと寂しさを感じていたら礼拝の最後に昔お世話になった方から
「今日はなんと久しぶりにこの子が来てくれました!」とみんなの前で紹介されてしまった。
名前を出したら皆気づいてくれて、私が成長したことに驚いていたみたいだった。考えてみたら皆が知っているのは小学校6年生までの私なのだから無理もないかも。
そこからは色んな人に近況を報告して回った。
大学生になったことやアルバイト、将来の夢とかを色んな人から聞かれて祝福をもらった。
本当に家族のように思ってくれていたことが嬉しくてたまらなかった。

他の教会ではどうなのかわからないけれど、ここでは全員で行う礼拝の後、年齢ごとに分かれて話し合いをする「分級」というのがある。
だいたい4、5人のグループを作って、近況や祈って欲しいことを話し合ってお互いに祈る。
私は祖父母の認知症が進んでいることや、今後沢山の命と向き合わなければならないことへの不安を告白して、お祈りをしてもらった。
全然そんなつもりなかったのに、話を聞いてもらってお祈りをしてもらったらなんか泣きそうになっちゃった。
自分でお祈りするのとはまた違う感覚でした。

そのあとは皆でごはんを食べながら雑談してました。昔沢山英語を教えてくれたアメリカ人のおじさんとか、今年オーストラリアからホームステイをしに日本へ来たという男の子とも沢山喋れました。
今思うと教会で仲良くなった外国人と小さい時しょっちゅう喋ってたから英語にそこまで苦労しなかったのかもしれない。


f:id:charcoalmaker:20140427220227j:plain

中の写真を撮らせてもらいました。
改めてこの教会に通ってよかったと思えたし、また来たいと思えた一日でした。