責任

一昨日、実習でラットの解剖をしました。
高校生の頃、一度授業で蛇の餌用の冷凍マウスを解剖したことがあって、その時全然恐怖感がなかったので今回もいけるだろうと思っていた。

目の前にはケージに入れられた雌雄のラットと実験器具たち。
何かを感じ取ったのか実習が始まる前に交尾を始めたのにはびびった。
ラットの交尾は動物行動学の授業で勉強したのでその姿はかなり興味深くて、友達としばらく観察していました。

その後私は初めて自分の手で動物を殺しました。
麻酔を過剰投与されたラットは眠っているようにだらりと無気力になっていた。
お腹を開いて、スケッチをして、内臓を取り出して、スケッチしての繰り返し。

死んだマウスでの解剖の時と大きく違うのは、使用したラットがさっきまで生きていたという事実。
切れば血が出るし、横隔膜を切って神経を切断するまでは開腹しても心臓は動いたままだ。これは肉塊ではなく確かに生きていた命なのだと思い知らされた。
深い昏睡状態にありながら、必死に生きていた。

最後は断頭し、脳を取り出した。
小さなラットの頭蓋骨は硬く、脳を守っていた。
こうして私は一匹のラットを隅々まで観察した。

残酷だけれど、これ以上の勉強はないと思ったよ。
教科書や資料とは情報量が桁違いなんだもの。
以前動物実験反対を掲げた団体のサイトに「解剖実験は3Dモデルなどを用いたデモ実験で十分だ。」みたいなことが書かれていたのを見たけどそれは違うと思う。無理だよ。どれだけその技術が発展しようとも、動物実験はなくならない。

大事なのは私があのラットを犠牲にしてどれだけのものを得られたかだ。絶対に無駄にはしない。
そして私はこれから救う命の数でしかその死を償うことは出来ない。これは私にしか出来ないことなのだ。